アメリカ 不動産 Century 21 正木 良樹 (Yoshiki Masaki)
船が好きで日立造船に入社
両親が四国の徳島の出身なので大阪から船でひと晩がかりで徳島に上陸します。子供の頃から瀬戸内海航路の発着を見ていたら自然と船が好きになっていました。その頃から将来は船乗りになりたいと思っていました。
戦後10年くらいは景気も悪く、就職難の時代でした。日本郵船などの船会社に入りたいと思っていましたが、かなり難しいという事で、それでは船を造る方へ行こう、造船工学科に進もうと高校3年の時に文系から切り替えました。
当時の大阪大学は学部に入ってから学科を選ぶシステムで主任教授が宣伝に来ていました。そこで溶接工学科というのがあるのを知りました。溶接工学科というのは大阪大学の他、オハイオ州立大学しかなかったので、造船工学科より溶接工学科へ行った方が就職しやすいと考えたのでそちらに進みました(笑)
それで船を造られていたのですか?
めでたく日立造船に就職が決まったのですが、配属先は造船部門ではありませんでした。私の頭の中では船を造る事しかありませんでしたのでショックでしたね。当時の日立造船は造船部門が40% その他を陸と呼んでいたんですが、橋梁や水力発電の水門、石油化学などの設備・装置を納めていました。
私の配属先は紙・パルプ会社向けの木材のチップを煮る蒸煮釜を作りました。毎日汗ドロドロで工場現場にいました。
全く違った分野へ配属されてしまってんですね
そうですね。船を造る為に入った会社でしたから、当初は意外だったですね(笑) しかし溶接技術で腕を発揮できましたから、やり甲斐のある毎日でした。そんなある時、日頃から営業に注文をつけていたので、大阪の工場の製造課長だったのですが、東京の輸出営業へ行けと言われました。青天の霹靂でしたね。陸部門は確かに世界中にお客が散らばっていました。アフリカ大陸を除いてほとんどがお客さんでしたね。エンドユーザーは産油国が多かったのですが、その設備機器を供給する先はアメリカやヨーロッパなどの所謂ゼネコンが多かったのです。世界中を回って顧客の開拓に努めました。
アメリカに初めて来たのは何時ですか?
昭和42年(1967年)1ヶ月間だけNYに出張に来ました。初めて飛行機に乗って海外に行きました。当時は1ドル360円の時代ですから色々と大変でした。私の役職は係長だったのですが、日当は$15 その中でホテル代、食事代も出さなければなりません。当時は会社が輸出貢献企業でしたから、日本銀行からの外貨も出やすい状況だったのですが、会社の規定で抑えられたんです。
タイムズスクエアの近くのホテルが1日$24でした。商社の駐在員の方でもマンハッタン島の北で、1泊$7くらいのホテルに宿泊していましたね。私達も3人で相部屋と頼み込んで宿泊していました(笑)
アメリカに住まわれるきっかけは何だったのですか?
東京で4年間頑張り、今度は驚いた事にニューヨークへ行けです(笑) それがきっかけでアメリカへ来ました。
私は化学機器が専門だったのですが、ここでは陸部門全体の商売を担当していました。アメリカでは、当時設備の近代化が遅れていました。自動車会社向けボディやシャーシを成型するスタンピングプレス、鉄鋼会社向けの連続鋳造装置なども担当しましたが、ライセンサーを通して販売するのが当時のやり方でした。
不動産は、教会バージニア州を下回る
直接販売したいので、プレスのライセンサーを買収する事となり、その担当者として交渉にあたりました。買収先は60年の歴史があり、600人程の従業員が居りました。
NY駐在時代は如何でしたか?
1979年NY駐在になりました。日本との時差もあり夜遅くまで働きましたね。当時は通信手段がテレタイプといって紙のテープに穴を開けて電信で送るものだったのですが、英文かローマ字でタイプをしてくれるテレタイピストの女性も夜遅くなる事が多く、やはり危険でしたから男性が当番制で見送りをしたり、家まで送っていったりしました。
会社は53番通り、パークアベニューにあり、丁度ウォルドルフアストリア ホテルなどの近くで安全な所でしたが、やはりニューヨークですから常に緊張していました。
自宅は子供達の教育の事などを考えて、ニュージャージーで日本人があまりいない、一番学校の良いエリアを選びました。鉄道を3つも乗り換えて通っていましたね。
実際に何か危険な目にあった事などありますか?
遅くなると車を使いますが、ある時前方に石が10から20個転がっているのが見えました。左がハドソン川、右が絶壁といった道でしたが、突然ガンという音がして気がつくと屋根がへこんでいました。多分子供だと思うのですが、通る車に石を投げていたんです。。
マンハッタンの警察に届けましたが、彼らは殺人以外取り合わない(笑) 現場近くの警察にまで足を運びましたが結果は同じ、何もしてくれませんでした。治安はそれ程良くはなかったですね。
悪名高き地下鉄もプラットホームに黄色いラインがあり、そこに光があたっていて、ここで待てという事なんですね。
最初はNYに着任。シカゴに来られたのは?
私は買収した会社の副社長としてシカゴに来ることになりました。。納入したプレスマシンが世界中に1万台くらいあったのですが、その機械で怪我をしたり、亡くなったりする事故が相次ぎ、訴訟問題の為オクラホマの裁判所に出かけたこともありました。
それとGMやフォードで今問題になっているように、医療保険の会社負担で3つあった組合との交渉がこじれて、徹夜の交渉、ストライキも経験しました。日本の親会社がオーナーなので、人種差別を受けたと、幹部従業員がわれわれ最高責任者3人を連邦裁判所に訴えました。陪審員裁判で無罪・勝訴となったのですが、控訴され和解する事となりました。アメリカの社会を良く知った1つの事件でした。
NYとシカゴにお住まいになって何か違いはありますか
人情的にはシカゴの人たちの方がフレンドリーで暖かい気がします。NYはアメリカというより世界の中心、国連や各国の大使館、業界の本部などがあり情報は取りやすいので仕事としてはやりやすいですね。テキサスや南部の人は東の人を嫌っていますから、アメリカ人と一緒に行ったとしても仕事はやりにくいですが(笑)
アメリカは地域によって全然違います。仕事の上では例えば新聞をとってもシカゴトリビューンなどは良く言えばよりローカル情報が掲載されていますが、やはりビジネス的にはNYタイムズやウォールストリートジャーナルなどには敵わないですね。
何故不動産業界に?
アメリカ生活が通算12年になった頃、帰国命令が出ました。2人の息子は既にアメリカの企業に就職していましたし、末の娘は大学を卒業する時期だった事もあり、アメリカに残ろうと思ったのです。ですから会社は途中退社という形をとりました。
物事はテキサス州landloardは知っている必要があります
不動産に入ったのは私と同じ技術者だったアメリカ人の友人がペンシルバニアで商工不動産をやっていて成功していたので私もその道に進もうと思ったからです。
しかし1990年頃はアメリカ不動産業界が不況でシカゴもどん底でした。商工不動産の会社にインタビューに行っても良い結果が得られません。悪い時期だったですね。それで住宅の方に転向したんです。
独立されて如何ですか?
ご存知の通りどこの不動産でも一緒ですが、会社に属していても手当てや給料はありません。それどころかオフィスや諸経費などを支払っているのですから、ビジネスが全くなければお金は出ている一方です。
不動産業界は資格を取れば誰でも出来る、そういう意味では比較的入りやすい分野ですが、収入が伴わなず辞める人も多い、出入りの激しい業界でもあります。パートタイムではなかなか成功しない職業ですね。
何故パートタイムでは成功しないのですか?
やはりお客さんがエージェントとコンタクトをしたくてもすぐに連絡が取れない。勉強や経験を積む上でも時間がかかります。どんな職業でもそうですが、しっかりと腰をすえて臨まないと成功はしませんね。
当時アメリカの景気は良くない時代だったとの事ですが、入られて如何だったですか?
私の場合かなり準備をして入りました。この業界では一定時間の講習を受ければ州の資格が取れるセールスパーソンとある程度の実務と経験を積んだ上で講習を受け、試験を受けるブローカーがあります。
College of Dupage に毎晩通い色々なクラスを取って臨みましたから、最初の年は知人などの紹介もあり7軒の売買のセールスがありました。2年目、3年目からもビジネスは順調でラッキーでした。4年目からはオフィスでトップセールスパーソンになりました。
センチュリー21ではセンチュリオンというトップセールスに対して個人と会社にオスカーをモチーフしたようなトロフィーが渡されるんです。
売れる人とそうでない人は何が違うんでしょうか?
自慢話に聞こえてしまうと嫌なのですが、、1年に20軒から25軒の売買契約を続けていました。不動産には売りと買いがありますが、例えば売りの場合お客さんから頼まれてマーケットに出します。私が扱った物件は20軒の中で軒の中で10軒は2週間で売れました。その10軒のうち5軒は1週間で売れました。
ヨシキの物件はすぐに売れてしまうから早く抑えた方がよいと、オフィス内で言われた程です。
それは凄いですね。でも何故そんなに早く売れるのですか?
何故早く売れるかと言うとフェアプライス、すなわち適正価格でマーケットに出す。そして準備をしっかりとやる。広く、明るく見せるように家具や飾りをあまり多く置かないように等色々な工夫をします。業界用語で言えばアップグレード、アップデートを心がける。ガスレンジなどあまり使い込んでいるものは取り替えるなどですね。
アップデート・アップグレードの為に使うお金は回収出来るのですか?
良くお客さんからもこの質問を受けますが、答えはYESです。ペイントの塗りなおしやカーペット交換、キッチンを綺麗にしたりアップグレードする事は早く、より高く売れるための投資行為です。リスティングプライス、アスキングプライスとも言いますが、内容が良い場合複数のオファーが入る、いわゆるマルチオファーになり競りやオークションのような状況になる事もあります。結果的にリスティグプライスより高いオファーで決まるケースも多々あるのです。
20分の30 balloneローンは何ですか
一般的にアメリカでは家の売買をどう考えているのですか?
そうですね、日本とは随分違いますね。日本では一生に一度の大きな買い物という感覚に対し、アメリカでは平均的に5回程家を買い換えます。ライフスタイルに合わせて家も換えるわけです。
結婚して若い夫婦が住む為にタウンハウスを買う。子供が出来て大きな家に、子供が大きくなり家を出るようになれば今度は小さい家に買い換える。売却益で余裕のある生活が送れるという事になりますね。
この仕事をされて何かエピソードはありますか?
16年間で300軒程のお世話をしていますからエピソードは沢山あります(笑) 上記のライフスタイルに合わせてという中に離婚というのもありますね。旦那さんが別の女性と出て行ってしまうケースでは奥さんが家をもらうという事で落ちつきますが、逆の場合、新しい女性は前の家を嫌いますからすぐに売りたがる。でも前の奥さんにも権利があったりしますから、クロージングの席上で揉めた事もあります。
不動産の弁護士の他、離婚の弁護士まで出てきたりしますからね(笑)
現在の不動産環境は如何ですか?
中西部は歴史的に安定して上がってきていますね。平均して3〜5%くらいですね。しかし4年くらい前から10%くらいの値上がりもあり、ちょっと異常だったかもしれません。去年くらいから少し下がり、売買件数も少なくなっていますから、普段より多くマーケットに出ています。従って場所によっては9ヶ月分の在庫がマーケットに出ているという事になります。
投資としての物件購入はどうでしょう
アメリカの場合物価上昇率+αで上がっていきますから悪いとは言えませんが、貸し家をする目的での購入は今はお薦めしませんね。以前はレントもかなり高くなっていましたから安く買って高く貸すという図式もあてはまったのですが、今は違います。
日本のバブルとは違いますか?
オイルショックの時のテキサス、LAと東海岸はちょっと別物ですが、全体的にはボンと下がっているわけではありませんから日本のバブルとは違います。統計的な数字ですが、ミディアムプライス、平均価格、中間価格とでも言いますか、昨年同時期に比べて3%くらい下がっているというところです。しかし、エリアによってまだ下がっていないところありますし、一概にどうこう言う事は難しいですね。
アメリカの景気は不動産が支えているところが大きいので、住宅販売が低調であれば影響は出ます。特にニューコンストラクションは打撃を受け落ち込んでいます。株がそれ程でもないので不況感はないですけどね。
また、日本の住宅と違いアメリカは100年でも住みますから中古住宅の売買が盛んですし、値段もあがります。
この辺は日本との大きな違いだと思います。
成功の秘訣を教えてください
何の仕事にも通ずる事ですが、誠意を持ってお客様に対応するという事、それだけですね。
特に駐在員のお客様が多いので、帰国・転勤が将来ありますから、常に心がけているのは売りやすい家をお世話するという事です。
売りやすい家とは第一にロケーションですね。これは学校やネイバーの良い所なども含みます。学校に関しては今子供がいないので関係ないとおっしゃる方もいらっしゃいますが、売る時は大いに関係します。また、隣に倉庫が建ったりするケースもありますから注意しなければなりません。
そういう点では新築が一概に良いとの言えないのです。3年くらい経つと家の色々な問題が出てきますし、ある程度の街並みが出来ていた方が安心という事もあります。
それと内容がしっかりしていること。法律がきっちりしているので欠陥住宅に当たる事はほとんどありませんが、建物の造りはそれぞれ違いますから、ちゃんと見ないといけません。
現在はどのような暮らし
冬はアリゾナのツーサンで暮らしています。フェニックスから車で2時間程南に行った所ですが、環境もとても良いし、とにかく暖かいですしね(笑) それに山もあり空気が澄んでいる、快晴の日が多いのも魅力です。
人も良いですね。ホームデポ、ターゲットなど全国チェーンの店に行くと、その差が良く分かりますが、田舎は本当に人情的ですよね。とても住みやすいところです。
ここにはアリゾナ大学もあり、メディカル、サイエンスの水準が高いんです。病院などの設備もしっかりしていますし、野球で言えばSOXやマリナーズがスプリングキャンプにも来ますしね。
リタイヤメントの雑誌などを購入して色々調べたんですが、フロリダだと湿気が多かったり、ハリケーンなどの心配もありますからね。
70の手習いで、ブルースの大家の菊田先生にギターを習っています。大袈裟な言い方ですが、人生に光が射して来たという感じで毎日がハッピーです。今までギターなど触れたこともなかったし、まだまだ未熟ですが指を動かす事で脳の働きも良くなると言うし、1人でも気軽に練習、演奏出来ますからね。
最後にお薦めスポットを教えてください
アメリカからヨーロッパへのアクセスが良いのでヨーロッパ旅行などはお薦めですね。私共夫婦は毎年のように10日間くらいレンタカーで、各国を回ります。
それと地中海クルーズなども楽しいですね。イタリアのゼノア港を出てジブラルタル海峡を出て南下し、モロッコ、カナリア諸島などを回りました。イタリア船籍の船に乗ったのでイタリア人が800名、ドイツ人400名、イギリスなど英語圏が30名でマイノリティー、アメリカから参加したのは我々を含め3組6名だったので、陸に上がって参加するツアーなどはいつも一緒でしたから仲良くなったりします(笑)
クルーズはお金持ちの旅行と思いがちですが、一緒に乗っていたイタリア人の方々はとても庶民的で多分10日間のクルーズで1人5〜8万円程しか払っていないように思いますよ。インターネットなどで現地のクルーズ会社に直接交渉すれば比較的安く楽しめると思います。
アリゾナもお薦めです。国立公園も3つ、ナショナルモニュメントは6つあり、空気が澄んでいるツーサンでは、付近の3つの山の頂上には、多くの天文台があります。今はインターネットで色々な情報が簡単に手に入りますが、やはり行ってみたり経験してみないと分からない事がいっぱいありますからね。
本日はご多忙の中、貴重なお話を聞かせて頂きまして有難うございました。
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