カジュラホ旅行記インド
その寺院群は10世紀から11世紀頃に建てられたものだが、「カジュラホ」という名前が世界的に有名になった理由は、その寺院群の彫刻がモロに「エロティシズム」を描かれた作品だからだ。砕いて言うと、お寺の外壁が性行為の彫刻だらけなのである。
これには様々な説があり、「人間界のエロティシズムを超えた作品」だとか、「昔の人々が性教育代わりにお手本にしていた」などあるらしいのだが、ココを観る旅行者にとっては単なるエロ寺院。そう、旅人はカジュラホにエロ寺� �を求めてやって来る。
見事な合体シーンが描かれている。
昔は寺しかなかった土地に観光収入を求めて人が集まった場所だけに、インドでも有数の「観光客ずれ」をしている所でもある。観光客にとっては恐らくインドでも一・二を争う『ウザイ』観光地だろう。
「バスを降りたら客引きがドッと押し寄せてきた!」という話は観光地でよく聞く話だが、カジュラホの場合になると、「20km手前のバス停から客引きがローカルバスに乗り込んで来た!」という具合だ。彼らは約1時間掛けて、最初は日本語が喋れる親切なインド人を装って打ち解けくる。そして村に近づいた頃に客を落としにかかるのだ!安宿が多く、競争が激しいだけに宿側も必死である。
私が驚いたのは、この村の人々による「罵りあい」だ。� ��光地で「□□ホテルには気をつけろ」とか「土産屋の△△は偽物を高く売るから行くな」という噂はよく聞く話で、むしろ旅行者はそういう情報が知りたいので好んでそういう話題をしたがるもの。いつものように色々なホテルを見学しながら周辺の情報を集めていると、商売敵の罵り方が半端じゃない。それぞれが日本人の集まりそうな宿・店・食堂の悪口を言いまくるのだ。
AホテルでB・Cホテルの悪口を聞き、BホテルでA・Cホテルの悪口を聞き、CホテルでA・Bホテルの悪口を聞くといった具合である。
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多少は情報を集めたい私もさすがに嫌気がさして来た。何しろ全てをまとめると、この村にはまともなホテル・店・食堂を含めまともな場所が無くなってしまうのだ!話を鵜呑みにすると、「全滅」である。
客を他に取られたくない為、嘘を付いて他に行かせない方法はよくあるが、ひとつの施設に対し複数の施設が様々な悪事を洩らすというのは異状である。何しろ悪い話が出ない施設は喋っている自分の施設だけなのだから!火の無いところに煙は立たない。やはりこの村は悪人だらけなのだろうか?
たしかに、普段はおススメの宿が載っている某有名ガイドブック「地球の○き方」でさ� ��も、『カジュラホは宣伝・中傷ばかりで推薦コメントを掲載できないので読者が自分の目で判断してください』と書いてあった。実際来てみて納得である。
しかし、こうなれば私も元業界人の端くれ。今後来る旅行者の目安になる「真相」を明らかにするべくトコトンこの村を捜索することにした。何しろこれまでの情報ではみんな●「黒」、このままでは悪人の街になってしまう。確かに状況からいって悪人は多そうだが、中にはイイ人も居るはずだ!
そして私の特捜(▼ヘ▼) y-゜゜ は始まった・・・ 『イイ人を捜せ!』
捜査法は、手当たり次第に「悪口を言われた者」のところに行き、直接話をする。つまり、日本人が集まる全施設である。
ホテル・土産物屋・レストラン・インチキガイド・仲介業気取りのガキんちょ・・・etc。
捜査を進めるにつれ更に驚いたのは、村の住人の日本人女性との結婚率だ。ココでは日本人と結婚するのが最高のステータスらしく、みんなその目標に向け必死で日本語を勉強しているのだ。通りで日本語レベルが高いはず。何しろ私が滞在した4日間で二組の若い「日本女性・インド人男性夫婦」に出会ったくらいだ。彼らはインドに住んでいるのではなく日本に住んでいて偶々里帰りに来たところを道端で出会ったのだが、そう思うとすごい確立だと思う。結婚して 問題が生じ離婚する例も多いみたいで、以前日本人女性と結婚していたインド人にも二人程出会った。この時出会ったカップルがいい人達だったのが救いだ。お幸せに。
日本に住む彼らも「この村は派閥争いが酷く、シガラミが多いので住みたくない」と日本語で洩らしていた。やはりこの村には問題があるようだ。
ちなみに私が泊まっていたホテルは「ツアーの勧誘がうるさく、蚊が多いのでマラリアにかかる客が多い」とどこかの宿が言っていたが、幸い蚊は多かったもののマラリアには感染せずに済んだ様だ。ツアーの勧誘は、宿のオーナーが海外旅行で留守だったためあまりしつこく無かったし。
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色々聞き込みをしてみても、「彼はシロだ!」と断言できる人がなかなかいない・・・ん〜困った。
そんな中、フラッと昼食に立ち寄った小さな日本食レストラン「シバ・○ャンタレストラン」の情報のノートを見ていると、何とほとんどの日本人旅行者がこのレストランのオーナー(ジャ○ナーさん)を褒めちぎっているではないか!
「騙され続けたインド旅行で、ここはオアシスでした」
「ジャ○ナーさんの無欲で親切な生き方に癒されました」
「ジャ○ナーさんの家に招待され美味しい家庭料理をご馳走になりました」
など、褒めたい放題である。
客は私独りだったので早速ジャ○ナーさんと話を� �てみた。彼は今から30年くらい前、1杯2ルピー(5円)の小さなチャイ屋を経営していた頃ある日本人旅行者と仲良くなり、彼の助言から日本食レストランを始めたという。それから彼は懸命に働き今ではレストラン・洋服屋など10店舗のオーナーになったサクセスストーリーの持ち主らしいのだ。今では店を息子達に譲って、昔からやっている小さな日本食レストランで日本人とお喋りをするのが趣味でこの店を経営しているという。
日本からのお礼の手紙も半端じゃなく、私が見ただけでも50通は超えていた。ココを利用した日本人客から無償で味噌なども送られて来ていた。彼は2度日本に旅行した事があり一度目は1998年、二度目は今年2005年の5月で、その時は東京・埼玉・神奈川・京都・大阪と「シバ・○ャンタレストラン」のファン達がバトン繋ぎ方式でジャ○ナーさんを家に招待し、彼は航空代金を払っただけで日本で一銭も使わずに旅行を終えたという!
その時の写真もすごい数で、鎌倉・京都・大阪・居酒屋・パチンコ屋など各地で様々な日本人と撮られたスナップ写真がそこにあった。まったくみごとな接待ブリである。
これ膨大な手紙の数々はもしや・・・遂にシロ○のオトコが現れたか?(・∀・)
圧倒的なこの証拠物件の数に信頼が高まる。彼自身も「日本人はこのレストランに集まるから私は他から恨まれている。私は金儲けをしないからなー」と言う。
旨い親子丼を食べ60ルピーの食事をしたが、お釣りが無いと言う理由で50ルピーにまけてくれたジャ○ナ� ��さん、私はシバ・○ャンタレストラン通いをする決心をした。
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夕食は一番おすすめだという「サムゲタン」を食べた。日本食ではないが彼は韓国料理屋も持っており、今は息子の一人が店を経営している。おすすめだけあって、ものすごく美味しかった。正確には本場のサムゲタンとはやや違うが、とにかくインド料理では出せない味だ。
さらにジャ○ナーさんはこっそりお酒を持ってきて私にも飲ませてくれた。インドの焼酎みたいな酒でさほど美味しくはないが二人で一本空けてしまい、話も弾んで久しぶりにいい気持ちになった。食事代にプラスしてお酒代を払おうとすると、「ユーライク!(いくらでもいいよ)」と言われたので30ルピーだけ払っておいた。ホントに無欲な人だ。
翌日 、私がバイクの免許を持っているということで「近くに住む両親の家まで乗せてってくれないか?」という話になった。久しぶりの運転だったので、とりあえず試しに乗ってみてから決めることにした。だが、持ってきたバイクは超オンボロで前輪ブレーキは利かないし、ニュートラルランプも付かないしギアもたまに入らない・・・。実家までは片道1時間らしく、インドの凸凹道を走るのはちょっと大変なので残念だが諦めることにした。翌々日に一年で最大のイベント「ディワリー祭(日本で言う新年)」を控えていたのでジャ○ナーさんは挨拶に行きたかったらしいが、安全の保証ができないので仕方ない。「悪いねー」と言うと、「ノープロブレム!」と言いながら空いた時間で代わりに近くのお寺を案内してくれた。
昼食はジャ○ナー家に招待され、家庭料理をご馳走になった。野菜カレーと、チャパティーという円形のパンの様なものだけの質素な食事だったがこれがまた美味しかった。インドは家庭料理が一番だ。私はすっかりプチウルルン気分を味わう。すっかり仲良くなったジャ○ナーさんは、ディワリー祭の記念に彼とお揃いのクルタ(パジャマ)をプレゼントしてくれるという。何とも嬉しい事だ!私も何かお返しを考えなくては・・・ダージリンで買った紅茶でもプレゼントしようかな。
「部屋が空いているから良ければココに泊まってもいいよ」と誘われたが、さすがにそこまで無防備になれないので丁重に断わる。
その日の夕食は昼間のお 礼に勿論レストランへ。街であった日本人旅行者に「カジュラホに来たらシバ・○ャンタレストランだよぉ〜」と声を掛け、多少ながら経営に協力をする。いつの時代もいい店は口コミで広がっていくもの。3人の日本人とジャ○ナーさんでボトルを2本空け、彼も昨日と同じ日本旅行の接待話をして気分も上々。「日本人は金じゃない!思い出が大事だ」という。会計はまたも「ユーライク!」。お酒代の足しに三人で合計100ルピー払う。
帰りに2番目の息子が経営する服屋でクルタの寸法を測ってもらった。そこにあった布地のカバンが気に入ったので値段を聞くと、お決まりの「ユーライク!」と言う。私は困ったが、見た目から判断して50ルピ ーを払った。
翌日は昼にレストランへ行く約束をした。午前中暇だったので、残っていた捜索を続ける事に。その日のターゲットは「○イクサイドホテル」。恐らく日本人が一番泊まっている宿だ。ココのオーナーは日本語がペラペラ。地主で長男がホテル経営、次男がレストランのオーナーで日本を行き来しており、三男は日本女性と結婚し神戸でインド料理屋をやっているらしい。カースト制度が未だに消えない田舎町では、貧乏から成り上がりのジャ○ナーさんと○イクサイドのオーナーは犬猿の中。お互い日本人を抱えているので仕方ないかもしれない。
私はオーナーと色々雑談をしながら相変わらず噂話を聞いていた。しかし、まずい事にホテル前を通りがかったジャ○ナーさ� ��に犬猿のオーナーと話しているところを見られてしまった!
ジャ○ナーさんは不機嫌な顔をしながらホテルに入ってきて「俺と一緒にレストランへ行こう」と言ったが、私はもう少しオーナーと話がしたかったのでジャ○ナーさんには「後から行く」と言って先に行ってもらった。30分後レストランに行くが彼はおらず、通りかがった息子が「オヤジは夕方まで来ないよ」と私に伝えた。どうやら○イクサイドで話をしていた私の行為に嫉妬をしたらしい。
諦めて昼は息子の店でキムチチャーハンを食べる。
夜、日本人をさらに2人誘い5人でレストランへ行った。ジャ○ナーさんとは「○イクサイドには友達が泊まっていたの で仕方なく行ったんだ」と言って和解をした。更に私は「明日は祭りだから3食とも家で食べなさい。」と誘われるが、なすカレーが美味しいレストランに行きたかったので、昼と夜の2食をご馳走になる事にした。そのレストランは○イクサイドの弟がオーナーをやっている○ルースカイレストランなので勿論ジャムナーさんには内緒だが。
実は
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